「クレオール言語」とは全く違う言語を持つ二つの地域間で交易をきっかけとした交流の中から意思疎通の手段として発生し、その地域で定着した言語のことを言います。発生時期や経緯は様々ですが、こうしたクレオール言語または準クレオール言語と位置付けられているものは、分かっているだけでも世界中に30以上あるのです。

そんな中で私たちの住む日本列島はもともと古代から外敵が多くなかった上に欧米文化との接触も遅く、江戸時代には長い間鎖国を続けていたこともありクレオール言語が発生・定着する要素の少ない地域であったと考えられます。しかしそれでも日本のとある地域には特殊な経緯でクレオール言語が定着していました。

 

それは小笠原諸島です。

 

日本人の小笠原貞頼により小笠原諸島が発見されたのは1593年と記録されていますが、島民が定着したのは1830年頃でそれは日本人ではなく欧米人と太平洋諸島の先住民族であったようです。これらの人々は主には英語とハワイ語などの混合言語を使用してコミュニケーションを取っていたと言われています。

その後日本人(主に八丈島からの移民)が入植し、日本の領土となります。

 

その時に先住していた欧米系の人々は日本に帰化し日本語を学習することになりますが、太平洋戦争後に一時的に米国領になると今度は英語教育を受けるという、非常に複雑な状況に置かれることとなったわけです。

 

そうした経緯を経て、小笠原諸島にはハワイ語と八丈方言と日本標準語と英語が混合したコミュニケーションが取られるようになりました。それが小笠原語(小笠原方言)と呼ばれるものです。

 

基本的にハワイ語や八丈方言の影響で名詞などは全く日本語と似付かないものも多く存在しています。例えばサトウキビは「バンブル」と言い、これは英語のbamboo(=竹)が語源と言われています。また、新しい着物のことを「デイチケヘビロ」と言っておりこれは八丈方言の影響とされています。

 

しかしその中でも面白いのが「私」のことを「ミー」と呼ぶところでしょう。これは当然英語のmeから来ているのですが、例えば「私たち」とか「我々」を言い表す時は「ミーら」となるのだそうです。この辺りは英語と違った独特の言語なんだと改めて感じられる部分ではないでしょうか。

 

他にも「あなたは何を教えている教師ですか?」という会話は「ユーは何のティーチャーだい?」となるのだそうで、まるでタレントのルー大柴さんのようですね。こうした例からも小笠原言語は馴染み深い言葉の混合物でありながら、クレオール語と民俗史の奥深さを感じられる非常に興味深い文化である、と感じていただけるのではないでしょうか。

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